暗青の世界をただ静かに、悠々と生けるシーラカンス。
そこは南アフリカ、水深約120mの深い海。
前田和彦氏は瞳を閉じた。
地球上でたった24人しか辿り着いていないその場所へ、行く。
今日まで嫌気がさすほどの困難が立ちはだかってきた。
現地潜降のパーミットを得るために突きつけられたのは、端から許可するつもりなどないような無理難題だった。それを何とか克服するも、共に夢を叶えるための同志”集めに奔走し、それぞれ一匹狼のように海で生きてきた彼らを一つの目的の下にまとめ上げることに辛酸を嘗めた。
さらにフィリピン・プエルトガレラ 水深120mへのテストダイブではその深度の過酷さに打ちのめされた。
だが、核心部に潜るメンバーは確かに揃ったのだ。
田中光嘉氏、田原浩一氏、そして坂上治郎氏。
前田氏はゆっくりと瞳を開いた。
「世界でまだ僅かな人間しか達成できていない一つの夢に、仲間が人生の時間を持ち寄ってくれる。そんな彼らと共に絶対にその場所へ到達するために。何が起こってもプロジェクトを遂行するために。そのために自分にはまだ必要なことがある」
そしてある人物に連絡を取った。
伊藤祐靖氏。元海上自衛官で、自衛隊初の特殊部隊(SBU)の立ち上げに携わった人物だ。
前田氏が彼から習得したかったもの、それは水中動作の確実性だ。伊藤氏は海でそれを鍛え上げてきたプロフェッショナルだったのだ。
プロジェクトに必要なのは、ただ深く潜るだけではなかった。
シーラカンスが棲むとされるソドワナ湾の海流はおよそ3ノット(秒速 約1.54m/s)。ダイバーは何かに掴まり耐えなければならないような速さだ。その中でリール(糸)が100mもあるフロートを上げたり、タンクを交換したりといったさまざまな作業を行わなければならない。動作には鍛錬と自信に裏付けされた確実性が必要であり、もしそこに一縷の不安でもあればその流れはすかさずダイバーを襲うだろう。流れにただ争うのではなく、自身の安全を確保しながら作業を適切に行うためには、身体を効果的に効率良く使い、活動能力を最大化させる必要がある。そしてたとえどんなトラブルや危機に遭遇したとしても、冷静に判断して対処するための平常心を保つ精神力が欠かせない。前田氏はそれを欲した。
そして伊藤氏による訓練は始まった。
太腿、膝下それぞれの筋肉をどのように動かせば、急流の中でも体力の消費を最小限に抑えて効率よくフィンキックできるのかを体に叩き込む。もし器材などにトラブルが起きてもパニックにならず冷静にリスクを回避できるように、息を止めて泳ぐ。
「頑張ればなんとかなる」が通じない水の中で、ましてや急速な流れの中で目的に対し効果的に動くには。どこに力を入れてどうで脱力するのか。
都内のプールで週に1度、前田氏はそんな水中での在り方を学び、泳ぎ続けた。いくつもの会社や事業を運営し多忙を極める彼にとってそれは決して簡単なことではなかったが、伊藤氏も案じるほどストイックに身を投じていた。
そしてそれは南アフリカへ行くまでの1年間、欠かさず続けられることになる。
「プロジェクトの話を打診された時『やる』以外に選択肢はなかった。国もスポンサーも何の助けもないのに、一人でシーラカンスを追っている。夢物語のような夢を真剣になって掴もうとしている。シーラカンスを見ることよりも、この前田和彦という男がシーラカンスを見る姿を見たい。だからそれに対する俺の役割がここにある」。
そう言って前田氏に寄り添い続けた伊藤氏だが、チームでの役割は他のメンバーのように潜るというものではなく、前田氏の心技体を磨き上げることと、治安の悪い現地でチームを護衛することだった。
南アフリカ出発の日は刻々と迫っていた。
訓練開始から1年が経ち、前田氏の水中動作は熟練しただけでなく、揺るぎない自信と精神力を得たものになっていた。息を止めたままでの動作に焦りも動揺もないことはその背中から見てとれた。
「もう、大丈夫!」。伊藤氏はそう呟いた。
出発に向け着々と準備が進められる頃、チームも新たな展開を迎えた。
写真および機材技術者として阿部秀樹氏、魚類学者として井田齊氏が加わったのだ。
シーラカンスの撮影を行うにはその技術はもちろんのこと、器材の選定やメンテナンスができる人材が必要だった。前田氏の心にはある一枚の写真が浮かんだ。それはアカウミガメの産卵シーンだった。想像を絶する労力、「絶対に撮る」という執念が感じ取れるような、その一瞬。それを収めた無二の技術と信念がそこにはあった。
「彼だ、彼しかいない」。
阿部秀樹氏、国内外で活躍する写真家。
撮影で1年のほとんどを海で過ごす阿部氏に対し、プロジェクトは長期間に亘る南アフリカ滞在が前提となる。それでも彼はオファーに即諾した。レンズ越しに無数の生物と対峙してきた彼だが、未だ目にしたことのないシーラカンスの存在に強く突き動かされていた。
さらに坂上氏の師であり国内有数の魚類学者、井田齊氏もチームに賛同した。
坂上氏だけでなく井田氏が加わることが後に、このプロジェクトの運命を大きく変えるものとなる。
バックアップダイバー、映像管理には前田氏の息子である和也氏も加わった。
“Team Fossils”。
前田和彦氏の下に集まった、7人のダイバーたち。
田中光嘉氏、田原浩一氏、坂上治郎氏、伊藤祐靖氏、阿部秀樹氏、井田齊氏そして和也氏。
「生きた化石」といわれ、幻のように深い海の底で息づくシーラカンス と、平均年齢57歳のメンバー「生きる化石」たちの破天荒にも命を懸けた挑戦を、チームの名にした。
そして2017年、Team Fossilsは南アフリカへ飛んだ。
必要な器材は揃い、潜水と撮影の手順も全て整った。チームのルールは明確で、幾度となく見直された綿密な計画は予定通りに遂行されていた。
プロジェクトは順調に進むはずだった。
シーラカンスが棲む海へ ダイバーたちが命を懸けた水深113m、3分間の奇跡④へ続く
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様々な困難を長い時間をかけ乗り越えていく物語に感動しました。
継続は力なり
素晴らしい